2011年4月12日火曜日

水戸に行ってきました 2011/3/19 - 23


写真は三重の L 字テロップ

3月11日に東日本大震災が発生して以来、茨城県は殆どニュースでは報道されず、私は心配でたまらなかったのですが、そんな茨城県の水戸市 (+α) に、祖父母のいる新発田で取れた野菜その他を持って行ってきました。

私の実家のある水戸市では、震度6弱という大きな地震を食らったのにもかかわらず幸いにもライフラインも2日程度でひと通り復旧した (但し地区によるらしい) ようですが、どれほどの被害なのか、大きいにせよ小さいにせよこの記事にて写真を交えてお伝えしたいと思います。

茨城県内でも、海沿いの地域はもっと大きな被害があるとも聞きましたし、また、東北太平洋側の地域でも、もっと悲惨な被害に遭われています。より被害の大きかった地域の方々にはお見舞い申し上げ、また、少しでも多くの方々の無事をお祈りいたします。

建物

全壊の建物は (あるらしいが) 私が見渡したところ確認できませんでしたが、数百メートル毎に半壊の建物、「危険」と書かれた貼り紙がありました。壁の落ちた建物も…。瓦屋根が落ち、ビニールシートを被せるなどの応急処置を施した家がところどころ目立ちました (上の写真)。私の母方の祖母の家も例外ではなく。空き家では崩れた瓦屋根が放置されていることも。写真は水戸で撮影したものですが、土浦でも同じ状態でした。ブロック塀は古いものがところどころ崩れていました。

家の中

自宅では幸いにも、玄関においた時計が落下して割れた程度で、食器棚やカップボードは中のコップが倒れて乱れている程度でした。母方の祖母の家では食器が割れたと聞きます。幸いにも家具が倒れることはありませんでした。


写真は私の実家の自室の片付け前の様子 (左) と、地震対策 (?) のため、悪あがきで天井スレスレまで積み重ねておいた本棚 (右) は、地震でずれたものの落ちなかった。

道路

地震から10日後、私が水戸に着いた頃には車道の地割れなどは確認できませんでした。しかし、道路の端の部分に、数百メートル毎に写真のような陥没があり、カラーコーンで囲まれていました。ガラスの割れた建物近くの道路にも同様にカラーコーンがあり、中に入れないようにしてありました。



写真は赤塚駅前と国道50号。

鉄道

常磐線、上野 - 土浦間は1週間程度で復旧しましたが、土浦以北は止まったまま (註: 4月11日現在では高萩まで開通しました)。Twitter で回ってきた情報では勝田駅の天井が落ちたりしたようです。20日頃、今まで立入禁止だった水戸駅の自由通路が通行可能になりました (それまでは北口 - 南口間を往復するバスが出ていた) が、23日の時点で、北口ペデストリアンデッキは通行止めのままでした。水戸駅の改札の内側には作業員がいました。


シャッターで閉まった赤塚駅の改札と貼り紙 (左)、落下した ? 赤塚駅の看板 (右)

水戸駅南口ペデストリアンデッキの下にて。支柱の周りが盛り上がっている。エスカレータに補修した跡も。

余震

体感したものだけでも震度3~4程度の地震を1日に3~6回程度。テレビの緊急地震速報が出る前に揺れていることもしばしば。

東京

上野駅では、天井が落ちたせいかは分からないが、ところどころ天井のタイルが抜けて骨組みのむき出しになっているところがありました。また、東京都内でも歩かずに止まると、僅かにずっと揺れ続けているような感じがしました。一部のエスカレータには黄色のテープが張ってあって、節電のために動作を停止していました。


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